深泥池について思うこと:これから

森 誠一(岐阜経済大学生物学)


私は10年以上前に初めて深泥池を訪れて以来、この調査が開始されるまでに2回ほ ど来たことがある程度であった。それが今回のようなオオクチバス(ブラックバス) を中心に、自然環境の問題が起きていることを知ったのは昨年1997年の年末であった。 この問題は地域住民が池環境を憂える事態となり、研究者を交えた市民活動に発展し、 ともにその事態を悪化したと判断する共通認識に立っている。ここで少しだけ注意し ておかなければならないのは、研究者は市民活動においては素人であり、役割として は科学的論理のバックアップをする面にあるということである。この問題において、 活動の主役はあくまで、その地域に永住的に生活する住民である。

ここで、これからの深泥池の環境についての当面の問題についての羅列しておきた い。ただし、私はこの活動への出席率はよくないので、いわば外野から遠望している 状況であり、したがって、実情とは異なる了解があるかもしれないが、その立場から 思うところを述べたい。また、この羅列は「当面」に解決処理するべき課題であって、 将来にわたる『今後の課題』ではない。なぜなら、その方向性は住民の方々の今後の 意識や価値観に依拠するからである。

1) 流入水(水源)の調査

池沼の環境調査においては、まず、水源と水循環に関する水文学的な把握をする必 要がある。つまり、深泥池の水源がどこにあり、また雨水の量が全体のどれくらいを 占めているかを調べることである。例えば、抜水した際にどれくらいの時間で満水し、 あるいは水が入れ替わるのにどれくらいの時間がかかるのかということである。

2) 地形(形状)と水温分布などの現状

深泥池の実態がいかになる状態であるかを把握するために、池の形状、例えば水深 や底質の分布の現状を調べ、過去の資料と比較する。上記と関連することであるが、 水温の分布調査によって、流入水と池水の間や池内の場所に応じて、あるいは水深ご とに水温差が認められたりするだろう。また、湧水の存在を確かめたりできる。

3)

深泥池の環境問題は池の陸化や水質悪化ばかりでなく、オオクチバスやアカミ ミガメなどの外来種の増大によっても大きく促進されている。例えば、オオクチバス はアメリカ原産の淡水魚であり、魚食性が強い。特に、わが国在来の小型魚類を食べ、 それらの個体数に大きく影響を与えることが知られている。実際に、深泥池でも、カ ワバタモロコといった小型コイ科魚類が確認されなくなっている。しかしながら、新 しく移入した生物が在来の生物を駆逐するという事態ばかりでなく、オオクチバスの ルアー釣りによって水生植物が排除されるという新しい事態が生じている。つまり、 釣り糸を引き上げる時に、水生植物も引っかけて陸上に捨てられる訳である。ルアー 釣りにとっては水草は邪魔になるため、むしろ積極的に陸上に捨てられていく。これ は無意識のうちに行なわれている。

ここで深泥池問題を改善する活動において、オオクチバスの駆逐を第一義とする場 合、池の水を抜くことも考慮してもいいのではなかろうか。これは最後の手段ともい うべきものだが、この水抜きはオオクチバスの駆除にとっては最も手早く、効果的な 作業といえる。ひょっとすると近い将来、現在実施されているオオクチバスの生態調 査という作業は、悠長なものと判断されてしまうかもしれないからだ。もちろん、オ オクチバスの生態調査は必須のものであるが、それが一定の成果をもち評価できるま でには時間がかかり、事態が遅きに喫するということが有り得る。事態はかなり深刻 かもしれないのだ。ただし、この辺りの事情については、すでに議論され方向が決ま っているのかもしれないが。また、抜水作業が可能である場合、その時期や移植を配 慮しつつ、抜水による生物への影響予測も重要である。この予測評価を、あるレベル で確立するためにも時間がかかる。

4) 釣人の意識調査と啓蒙教育の継続化

ルアー釣りにとって邪魔になる水草は引っかけたら、むしろ積極的に陸上に捨てら れていく。その水草が貴重種であっても、知らずに無意識のうちに行なわれているの だろう。また、たとえ天然記念物であることを知っていても、それが一体どういうも のであるかを知らない人が多いだろう。知っていれば多少は異なるだろう。もちろん、 知っていても引っこ抜いて陸上に捨てる人は捨てるだろうが、いずれにしても、まず 知らしめることが肝要である。こうした実情を定量的に把握したり、できることをま ず行なうということは、現状の問題解決をどこに設定するかという活動の方向性を決 めていく上で重要である。

池を抜水した結果、オオクチバスを駆逐することができたとしても、再び放流され る懸念がいつまでも存在する。つまり、小・中学生や業者によるゲリラ放流に対して の対策を立てる必要がある。それには、少なくとも前者の通学者らには、学校を中心 とした環境教育という形しかないだろう。それは地道でも着実である。この問題につ いてここでは詳述しないが、従来の美辞麗句を並べ立てたり、道徳教育に偏向してい く環境教育のあり方では、環境教育の進展はないことだけは記しておく。

5) 行政機関との交流

これは活動の様々な履歴を担当行政でファイルとして蓄積されていくこと、および 予算化されることを意味する。いうまでもなく調査や管理には費用がかかり、啓蒙活 動においても、行政の援助が必須である。行政の事業としても、評価されるものでな ければならないだろう。そのための作業として、この活動が位置付けられるようにす るのも一つの手段かもしれない。

6) これからの議論

今後、深泥池の現状をどうしたいか、の議論を重ねていくことも重要である。つま り、何を目指して、どのようになったらいいのかをストーリーをもって方向性を作成 していくことである。もちろん、このスケジュールは厳しい制約を伴うものでなく、 柔軟に現実に対応するものであるし、そうでなくてはならない。

おそらく、この議論はこれまでの会合の際に話としては出ているものだろうが、明 示化されていないのではなかろうか。この点を、少し取りまとめておく必要があると 思われる。了解事項を着実に累積していき、それを共有していくのである。同時にこ の作業は、どこまでを深泥池の自然(原生自然から人間の生活と関わる自然までの幅 のある自然概念)とするかという価値観が絡む問題として定位されることになるだろ う。

私は、この深泥池を今後も遠望するだけであるが、その外野としての意義を持ちえ るような形でずっと接していきたいと考えている。また、池周辺の方々に対して、今 後ともよろしくお願いいたします、とこの場を借りて挨拶させていただく。


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